「堺事件」(森鴎外)①

「打ち首」ではなく「切腹」を

「堺事件」(森鴎外)
(「阿部一族・舞姫」)新潮文庫

「堺事件」(森鴎外)
(「森鴎外全集5」)ちくま文庫

幕末の混乱期、
仏海軍水兵20名が
堺市内で迷惑行為に及ぶ。
堺を預かる土佐藩士が
事態収拾のため出動する。
両軍衝突の結果、
水兵11名が命を落とし、
発砲した藩士20名が拘束される。
フランスは関係者の処罰を
強硬に要求する…。

慶応4年2月15日に堺港で起きた、
土佐藩士による
フランス帝国水兵殺傷事件、
およびその事後処理をいう「堺事件」。
森鴎外は明治の幕開けに起きた
異文化衝突の史実を切り取り、
「日本人とはなにか」という
問いかけを行っています。

土佐藩士の勇猛心が発揮された
凄絶な切腹場面(この部分は鴎外の
脚色が行われているらしいのですが)に
目を奪われがちなのですが、
私が注目したいのは、
揺れ動く「処罰」です。
当初、土佐藩士20名には
「打ち首」の沙汰が下されましたが、
藩士たちは「打ち首」ではなく
「切腹」を要求するのです。

「堺表に於いて致した事は、
 上官の命令を奉じて致しました。
 あれを犯罪とは認めませぬ。
 就いては死刑と云う名目には
 承服が出来兼ねます。」

罪人として
打ち首で死ぬのは納得できない、
武士として切腹で死ぬのが
筋であろう、ということなのです。

「兵卒が隊長の命令に依って
 働らくには、
 理も非理もござりませぬ。
 隊長が撃てと号令せられたから、
 我々は撃ちました。
 命令のある度に、
 一人一人理非を考えたら、
 戦争は出来ますまい。」

と藩士は続けます。そうなのです。
上司の命令には
絶対従わなければならない
社会構造であるにもかかわらず、
いざことが起こればその責任は
末端が負わなければならないという
筋の通らない矛盾が
そこに潜んでいるのです。

妙国寺において、仏人公使の前で、
次々に藩士が切腹をしたのですが、
11人切腹したところで公使が退席、
処置は延期となります。
切腹できなかった9人には
流罪が言い渡されます。
ここでまたもや物言いがつきます。

「我々はフランス人の要求によって、
 国家のために
 死のうとしたものである。
 それゆえ切腹を許され、
 士分の取扱を受けた。
 次いでフランス人が
 助命を申し出たので、
 死を宥められた。
 然れば無罪にして士分の取扱をも
 受くべき筈である。」

上層部の判断が迷走しているのに対し、
藩士の言い分は常に一貫しています。
彼等の望む「切腹」とは、
つまり武士の一分を立てること。
打ち首でも切腹でも、
死ぬのに変わりはないのですが、
その意味は
天と地ほどに違っているのです。
日本人とはかくある民族である。
行間からそのような解答が
聞こえてくるような気がします。

(2020.3.11)

kordula vahleによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「堺事件」(森鴎外)

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